2021.07.10
都市マスタープラン
今月は都市マスタープランについて
【みわ】「中標津論」のコーナーです。
西村中標津町長をお迎えして、町政などの真面目なお話から、趣味やおすすめ情報などざっくばらんにお話を伺います。
このコーナーは毎月第1月曜日12時台に放送、そして翌日の火曜日朝7時半ころ再放送します。
またFMはなのリスナーの方からの、西村町長へのメッセージも受け付けています。
皆さんの声を直接町長へ届けることが出来ますので、気軽にお寄せくださいね。
いただいたメッセージは来月のこの時間にお答えします。西村町長こんにちは
【町長】はいこんにちは
【みわ】今日はどのようなお話でしょうか
【町長】今日は都市マスタープランについてです。
【みわ】都市マスタープラン・・・あまりなじみのない感じですが・・・
【町長】まあ、総合計画もあるしね。今回策定されまして、第2期になります。
【みわ】第2期、ということは第1期もあったということですね。
【町長】ありました。第1期は2001年から2020年まで、年度でね。
【みわ】20年計画ですか、長いですね。
【町長】たしかに長い、途中10年目で見直しているけどね。総合計画は10年ですからね。
【みわ】何のために作るんですか?
【町長】やっぱりそう思うよね。これってね、都市計画区域の設定されてない街にはない計画でして、根室管内は中標津と根室市にしかありません。
【みわ】都市計画区域って何ですか。
【町長】中標津の町の中ってさ、住宅があったり、お店があったり、公園も、工場もあるよね。
これって勝手にどこにでも建てられないようになってて、それらの色分けといいますか、線引きしてるんですね。無秩序な状態にならないようにしてる。
【みわ】なるほど。
【町長】ですから、それに従って都市整備も行うわけですよ。都市計画税という税金もかかってる。
【みわ】都市計画税ですか。
ということは払っている人には何かの恩恵もある、ということですね、
【町長】鋭いですね。そうです、例えば、南1号のバイパスあるでしょ。
都市計画区域はもっと広いのですが、都市整備をする区域はあそこで区切られます。
市街化区域っいうのだけど、南1号の南側は電気や水道はあるけど、下水道は敷設されてない、とか。
【みわ】えー、知りませんでした。そういう理屈なんですね。あんなに家が建ってるのに、東武やニトリもありますよ。
【町長】はい、ありますが、現状ではそうなってる。都市計画税は付加されてません。
【みわ】何も指定されてない地区ということですか?
【町長】まったくというわけではありません。規制はあります。
【みわ】でも、けっこう無秩序な状態だったんじゃありません?
【町長】これがいろいろあるんだねぇ。平成5年バイパスを作ったとき、バイパスが通るといろんな店などが張り付くから、都市計画上いわゆる中心市街地の衰退につながるのでバイパスの南側は都市的整備はしない、ということだったらしいのですが、結果として進出は止められなかった。
【みわ】あの賑わいは中標津の顔じゃないですか。
【町長】そう思うよね。
町も平成11年に病院作ったし、病院作るときは町の中に作るべきだと議論がありました。
そして、平成16年にフレスポができて、翌年には頭部が移転。でんぷん工場が再編されてあの辺一帯の土地利用が一気に進みました。あれよあれよという間に、もう、ほとんど隙間ありません。
バイパス作るとこうなるといういい例です。中標津にとっては良い例かな。
【みわ】そういえば、以前アメリカ旅行した時に気が付いたことがあったと言ってたじゃないですか。
【町長】あれね。アメリカで実際に聞いた話。
鉄道ができると馬車で栄えた町がなくなり、車社会になって国道ができると鉄道で栄えた町がなくなり、もっと早い高速ができると、その前に栄えた町がなくなるって話ね。
北海道だって似たような風になってるところあるじゃない。って話。
【みわ】バイパスができて、車の流れが変わって、当然人の流れも変わって、お金理流れも変わってくる。ということですね。
【町長】まっ、そういうことだね。
【みわ】20年前はどうかわかりませんが、途中で見直した都市マスタープランにそのことについて、バイパスのことなどは考えられているのでしょうか。
【町長】平成13年の計画時には、バイパスの存在が触れられてない。
平成23年の中間見直しでは、バイパス沿いに店が張り付いて中心市街地が空洞化してるといった記載がありますね。
今回もほとんど議論になってませんね。
【みわ】なぜでしようか。
【町長】なかなか言いにくいのですが、やはり、バイパスを作るときにどんな風になるかという議論が少なく、規制したようで実は規制になってなかった。
でもね、全国的にはバイパス沿いが栄えてこういう風になって、中心市街地の活性化といって投資してうまくいかなかった話ははごろごろありますね。
【みわ】中標津はそういうことしなかったわけですね。
【町長】中標津はその前に、JRの廃止があったでしょ。あれで駅前の開発しちゃってた。
【みわ】文化会館に交通センター、経済センタービル。
【町長】そう、あとだったら全然違ってたかもしれません。対抗して商業施設になってたかもしれない。実際そういう構想もありましたけど、採用にならなかった。
【みわ】いろいろ歴史というか流れがあるんですねぇ。
で、現状の都市マスタープランについてお願いします。
【町長】まず、目的ね
「都市づくりの具体性ある将来ビジョンを確立し、個別具体の都市計画の指針として地区別の将来のあるべき姿をより具体的に明示し、地域における都市づくりの課題とこれに対応した整備等の方針を明らかにする」
でも、都市計画マスタープランは直接的規制を行うものではない。具体的な規制、ルール作りが必要な場面では、地区計画やまちづくり条例などの手法が必要であろう。
でわかる?
【みわ】えーもう少しかみ砕いていただければ。
【町長】都市計画法という法律に基づいて定められた制度で、町の魅力や活力を高め、快適な暮らしを送るための将来像を示すルール作りや事業を行う。どう?
【みわ】かなりわかりやすくなりました。
要するに、市街地部分の街づくりのルール、という感じですね。
【町長】そう、そんな感じ。
【みわ】で、まず、その将来像ってどんなんですか。
【町長】お題目として言えば「環境首都中標津」
【みわ】その心は
【町長】自然や歴史を大切にして、生活実感に基づいた都市づくりに努め、協働による都市づくりを進める。
【みわ】具体的にはどう進めるのでしょうか
【町長】第1期の成果と課題があってね、アンケートでは関心が高い項目を整理したりしながら、ポイントを決めてみた。
さらに詳しくは、ツボという言葉にしてますね。
【みわ】ツボですか、押せば効く、コリがとれるという意味ですね。
【町長】そういうことですね。7つのツボがありまして、まず、まちなかですが、しるべっと広場など施設の活用による賑わいと交流の創出と歩行者ネットワークの整備。
さらには、遊休不動産の活用と便利な暮らし。
【みわ】イベントやろうということでしょうか。それと、町長の好きなウォーキング。
【町長】そうですね、既存のイベントや新しくいろんな事考えよう。ということ、それと歩く道の設定など。散歩道の整備はうれしいね。
個人的にはぜひ川沿いの土手を整備してほしい。そばに花壇があったり、いいでしょ。
【みわ】便利な暮らしって?十分便利じゃありません。
【町長】遊休不動産は、空き家空き店舗の利用。便利な暮らしはお年寄り向けの政策ですね。
その次のツボは、身近な地域の拠点の刺激でして、交流、防災の拠点づくりと町民活動のサポート体制づくりです。
【みわ】街づくり団体やこれから何かしたい人、参加したい人へのサポートはすごく大切なことだと思います。
【町長】そのとおりですね。
第3にツボは公園・公共施設の刺激、ということで、町内外のたくさん人の集まる場所をさらに磨こうということですね。
【みわ】町長のいつも言ってることですね。
【町長】そう、続いて第4のツボは、歴史文化遺産の刺激で、伝成館やその周辺の歴史遺産の保存活用と景観まちづくりの実践。
【みわ】私、朝市で伝成館の駐車場を利用してますが、あの建物は今後どうなるのでしょうか。
【町長】基本的には保存活用なのだけど、今街にあまり余裕がなくってね。大きく手を付けられない。
郷土館も古くなってるので、もう少し待ってください、うまく整理したいと思ってます。
【みわ】結構いい場所だと思います、歴史的建物だし。
【町長】ツボの5は、公共交通の刺激、住民の関心は高いのですが、なぜか使われないバスをどうしようかと。
【みわ】計根別行きのバスは朝、農高生でびっしりだとか聞きましたが。
【町長】あそこだけ混んでます。2便に分けて乗ってもらってます。
【みわ】座れないという苦情?もあるとか。
【町長】実際に見てないのでわかりませんが、都会の電車で立ってると思えばねぇ。
【みわ】今まで座れてたのが、たとえ20分でも立ってるとやはり辛い、若くても。
【町長】昔の列車通学は立ってましたよ。あと、都会みたいでいいとか、ダメ?
【みわ】あまり言うと苦情来ますよ。
【町長】混んで言われて、空いてて言われて。難しい。
空いてるほうはルートの見直しや観光利用などで多少の改善はできるのかもしれないけど、抜本的な改善はなかなか難しい。
【みわ】必要な時だけ走らせるようなことできないのでしようか。
【町長】模索中です。ほとんどみんな車持ってるしねぇ。
でもね、RR代替バスの標茶行きのバスってあるでしょ。あの路線を考えてみたの。
計根別までは利用はあるよね。でも、標津茶から中標津に来る利用や中標津から標茶に行く利用って直接的なものはほとんどないんだよね。
昔、釧路行きのJRがあったからその代替で運行してるんだけど、今、釧路行きバスは別にある。それでも運行してる。なぜでしょ。
【みわ】昔からあるから。
【町長】そうとしか考えられない。思考がストップしてる。こういうの考えなくちゃなりません。
次のツボは広域交流の刺激、まあ空港利用とか、観光振興ですね。
そして最後は、計根別の刺激。
【みわ】計根別って都市計画区域ですか?
【町長】おっ、するどいですね。違いますが、計根別の市街も大切な場所。農協、計根別学園、農業高校、いろいろ盛り上がってます。これは前計画にはなかったところです。
それと、前計画では農村景観にも触れてましたが、今回はあまり触れてない。あくまでも都市計画ってところですね。
【みわ】都市マスタープランの話はまだ続くのですが、少しボリュームが多そうなので次回ということでお願いします。
町長の逸品
中標津町の歴史を調べると、「開拓の鍬が入ったのは1911年(明治44年)乾定三郎と団長とする徳静団体が俵橋に移住した時から歴史が始まった」とあり、
その次に上がる人物は、「養老牛温泉。西村武重が温泉開発に乗り出した1916年(大正5年)に初めて足を踏み入れた時・・・」とある(中標津町五十年史より抜粋)
現中標津町長 西村穣氏の祖父。
西村武重:1892年(明治25年)香川に生まれ、4歳で父と共に札幌に移住。
1916年(大正5年)に養老牛温泉踏破。永年ヒグマ撃ちを経験。
1972(昭和47年)勲六等単光旭日章授与。1983年(昭和58年)死去。
著書:「ヒグマとの戦い」「北海の狩猟者」「秘境知床原野とヤマベ」「養老牛の今昔」
今回、1971年に初版された「ヒグマとの戦い」が再編集し出版されました。
この番組で紹介後、ファンの方からコメントが届きました。
今朝の放送で、西村武重さんの作品についてのお話しがありました。
私は西村竹重さんの書籍が好きで、図書館に通っては、何度も何度も同じ書籍を繰り返し借りるほど引き込まれていました。 興味のある作品は、発刊当時の書籍そのものを、自分の手元に置きたいと10年以上前になりますが、古書検索やAmazonなどを使い、貴重な書籍4冊を購入しました。
【ヒグマとの戦い】だけがなかなか見つけられずにいた頃、幸運にも、仕事を通じて、西村武重氏の息子さんである、西村如矢氏と話す機会がありました。
山を案内してもらったり、アドバイスをしていただいたのですが、その時、西村武重さんの書籍が好きで、その貴重な作品を探しては購入していること、
ヒグマとの戦いだけがなかなか見つけられないということ、貸し出し中なのか、そもそも所蔵していないのかも分からず、図書館でも見たことがなく、古書店でも見つけられないという状況を話し、まだ作品の内容すら知らないことなどを話しました。
お昼になり、西村さんは自宅に戻ったのですが、昼休みを終えて戻ってきた時、わざわざ家から【ヒグマとの戦い】を持ってきてくれて、直接私に貸してくれたんです。 その優しさと気遣いに触れ、感動してしまいました。 貴重なものなので、本を傷めたり汚したりしないように慎重に扱いながら、読み終えた後はすぐにお返ししました。
西村如矢さんは、その当時、たしか80歳前後だったと記憶していますが、山を歩くスピードが非常に早く、年齢を感じさせないその早さに驚いたことを今でも思い出します。 この、仕事を通じての幸運の出会い、お話しできたこと、貴重な書籍を、私のような得体の知れない若造に快く貸してくれたこと、
一期一会、あの出会いに感謝していますし、いまも大切な思い出として残っています。 所有している作品、久しぶりに読み返してみようと思います。
また、再出版の【ヒグマとの戦い】も注文しました。 復刊では、西村穣氏のコメントも記載されているとのことなので、到着が楽しみです。 より多くの方が、ヒグマとの戦いを直接手に取り、もしくは電子版などを利用して、この一冊の素晴らしさを感じてほしいと願っています。(RNインベスター)
本を開くと、中標津の太古の風景が蘇ってきます。原生林の中を縦横無尽に駆け巡る姿。疲れを知らないタフな肉体と精神力。
狩猟をする男たちの熱い思い、自分の家畜や大切な仲間や失った悲しみや悔しさ。仇と取るべく熊との戦い。そして、熊も狩猟動物である。狩猟家と熊との鬩ぎあいが克明に記された作品。今を生きる私たちが忘れてかけていた、ヒューマンスピリットがここにある!(橋本美和)
現在、各書店、またはAmazonなどで好評販売中!