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  1. 中標津論 ~ ルーツについて

中標津論 ~ ルーツについて

≪文字起こし記事≫ 

【みわ】今日はどのようなお話でしょうか。

【町長】ルーツについて、ですね。

【みわ】クンタキンテ。

【町長】よく覚えてますね。1977年の映画で、アメリカ歴史の暗い部分、黒人が奴隷として連れてこられた物語ですね。2016年にはテレビドラマでリバイバル。

そうじゃなくって、自分のルーツ。

みわさんはどちらから。

【みわ】生まれも育ちも別海町。

【町長】じゃなくって、ご両親、またはその先代はどちらからいらしたのでしょう。

【みわ】 父方の祖父は宮城県仙台から、戦前の開拓で北海道に来ています。祖父は婿養子で、私の旧姓は「田岡」。曾祖父さんは徳島県からから北海道へ。この旧姓はちょっと有名な時代もありましたよね。有名な方のルーツも調べてみました。田岡組長も生まれは徳島でした。なのでもう少し調べると、もしかするとどこかで、つながっているかもと憶測できるところまでは調べました。

母方は、厚岸なのですが、旧姓は「高嶺」。北海道開拓を行った屯田兵にルーツがあるそうで、歴史を調べると出てくるよと叔父から聞いたことがあります。

【町長】結構調べているね。

【みわ】で、町長のご先祖さんはどちらからいらしたのでしょうか。

【町長】父方の父は香川県、母は兵庫県。母方の父は福島県、母は北海道生まれらしい。

【みわ】らしいってのは聞いてないってことですか?

【町長】そう、聞いてないし調べてない。

【みわ】今回のお話しの主役はどなたでしょうか。

【町長】父方の父、西村武重さんです。

【みわ】そうではないかと思いました。町の有名人。香川県出身ということですね。

【町長】そう。生まれは香川県、今のまんのう町というところ。

5歳ぐらいのときに家族で石狩へ移住したみたいです。

で、その後、この辺を歩いて養老牛温泉を開発して住み着いた。

【みわ】そして、今の町長がいる。

でも、ルーツですからその先なんですよね。更にわかってるんですか?

【町長】祖父が香川県生まれでね、生家の近くに親戚がいたので訪ねたことがあります。

学生時代ですから、45年前。

最近になって、香川県の方で、郷土史を研究してる方から突然電話があってね。

香川県から北海道へ移住した方を調べるんだって。たまたま祖父の本を読んだんですね。

そして、その後資料が沢山送られてきたのですが。その中に、西村家文書目録ってのがありまして。

【みわ】えっ、それってどういうことですか。そんなのが残ってるんですか。

【町長】僕も初めて見るものなので、ちょっと興奮しました。

それを見ると、祖父の祖父の祖父、6代前あたりだと思うのですが、その地方で庄屋をしたとありまして、その頃の文献、資料がたくさん残ってるんですね。それをまとめた一覧が送られてきました。その中に、確かに曾祖父の名前があったりしまして。

オーこれはと。興奮度合いが上がりました。

【みわ】すごいですねぇ。そして、その末裔が移住した北海道中標津で町長をしてると。

ご先祖様もさぞかし喜んでいることだろうと思います。

【町長】ありがとう。多分間違いなく末裔であるとは思うので、一度どういうご先祖さんなのか調べたいなぁと思いますねぇ。

当時のその庄屋という制度も世襲でもないような感じもするし。西村家の歴史、なかなか興味深いと思います。約200年前ぐらいまでさかのぼれますので。

【みわ】200年ですか、すごいですね。徳川時代ですよね。

【町長】そう文化とか天保とか1830年代から明治まで50年くらいは庄屋だったみたいですね。

【みわ】その後どうなったんですか? 

【町長】行ったときに、その庄屋さんの跡があると聞いたような気がします。

今思えば行けばよかったと思いました。失敗だった。

【みわ】なんと残念。

【町長】だってこんなんなるなんて思ってないじゃない、あれから45年、当然跡形もないよね、きっと。そういえば、直系の方が銀行をしてるとか役員だとか言われた記憶がありますね。ちょっと記憶怪しいけど。

【みわ】だとしたらすごいですね。

【町長】わかんないよね、全く違うかもしれないし。

【みわ】いつ調べに行くんですか。

【町長】決めてはおりませんが、そのうち。あんまり置くと熱が冷めるので。

【みわ】北海道って本州からの移住が多いじゃないですか。

香川県の出身者が多い香川団地ってありますよね、その他にも沢山いるんでしょうねぇ。

【町長】連絡くれた方の資料によると町内にも複数いらっしゃるみたい。

皆さんそれぞれルーツをお持ちです。

時代が明治になって北海道開発が進み、土地あげるからって移住はしてみたものの、道東は自然が厳しかったから、大変だったんだよね。

ものすごく苦労してると思う。

【みわ】入植っていつごろまであったんですか?

【町長】中標津町は俵橋が最後だと思いますが、昭和40年代かなぁ。トラクターが出始めたころになりますので、昭和の初期に入植したよりは機械化は進んでいたかと思います。

でもね、やはり大変だったと思います。

【みわ】何もない時代から、苦労して苦労して。昔の人ってえらいなぁとつくづく思います。

【町長】祖父の本に書いてあるけど、標津線ができたのは昭和7年ころなので、それ以前は、入植者は斜里から徒歩か、根室から標津まで船で来てやはり徒歩、せいぜい馬に家財道具乗せた大八車ひかせるのが精いっぱい。

人は歩くんだどこまでも。祖父も標茶まで歩いたとか野付まで歩いたことになってる。

1日に50キロくらい平気で歩くんですね。

【みわ】すごいですねぇ、そういう時間の流れだったんですね。

機械がなくても、人間の手と馬の力で木を切って畑を耕して、開拓って簡単に言いますけど、思えばすごいことだったんですねぇ。

【町長】本当に今じゃ考えられない。 

機械化された文明にどっぷりとつかってますから言えますが、何もない時代に生きていればそれが普通なんでしょうね。

聞いた話だけど、中標津に住んでた人で、明治生まれの方が、昭和になって自動車を見て、「俺の生きてるうちに自動車に乗れるかなぁ」って言ってたら5年もたたないうちにそこいらじゅうで車走ってたって。

【みわ】時代の進むのがそれだけ早いころだったということですね。

今でもそういうことありますからね。

話がそれましたが、苦労は置いといて、ルーツの話を。

町長のお母さんのほうのルーツは福島県とのことですが。

【町長】母方の祖父は福島県の相馬というところらしいです。

教員しててね、その影響もあって母も一時期教員してました。

僕にとっては面白い爺さんだった記憶があります。

書道が上手で、書く前に筆先を口に含んで湿らせて軟らかくするんだよね。

今でもやってる人いるかなぁ。

【みわ】流石にいないんじゃないでしょうか。あまり衛生的じゃないし。

そんなの見たら親が驚きますよ。

【町長】そうだよね。

あとね、昔、僕がまだ、小学校に入学前だね、父の持っていた録音機にインタビュー録音したことがあって、その時に言ってたことの一部を覚えてます。

【みわ】すごいですね、よっぼど印象的だった。

【町長】たぶんそうだったんでしょうね。

内容はね、親の言うことを聞かずにいたずらばかりしている悪い子供はサーカスに売られるんだ。って。

【みわ】すごいですね、実際にはないでしょうけど。

【町長】まっ、昔だから。

それで、サーカスら売られて、芸を覚えさせられるんだ。

覚えが悪いと鞭で打たれて、無理やり覚えさせられるんだ。

痛くて泣いても、売られたんだから家には帰してくれない。

だから悪いことしちゃいけないって。親の言うことは聞かなきゃいけないって。

【みわ】すごいですね、本当に教育者ですか?

【町長】間違いなく。校長先生してましたから。

そのころサーカスってやってたから、見に行くとつい、あの人売られて鞭で打たれたのかな、と思ったり。

【みわ】ひどいというか、半分トラウマですね。

【町長】でもね、よく考えると秋田にナマハゲってあるでしょ、あれと同じ。

現実的に子どもを脅かしてよい子にさせるという点では。

【みわ】あっそっか。そういう意味では教育的なんでしょうか。

【町長】あと、書道の実力も結構で、大きな字が好きだったみたい。

なん本か掛け軸にして残ってますね。

【みわ】そちらのほうのルーツもなかなか面白そうですね。

お調べになる予定はないのでしょうか。

【町長】言われてみると面白そうな気がしないでもない。

福島まで行ってみようかしらね。

【みわ】古きを訪ね新しきを知る。なにか発見あるかもしれませんね。


【中標津論】

西村中標津町長をお迎えして、町政などの真面目なお話から、

趣味やおすすめ情報などざっくばらんにお話を伺います。

毎月第1月曜日12時台本放送、翌火曜日7時台に再放送