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  1. 中標津論~標津線廃線後の中標津

中標津論~標津線廃線後の中標津

(文字起こし記事) 

【みわ】今月はどのようなお話でしょうか?

【町長】最近ユーチューブで「廃線後でも人口が減ってない町、中標津」ってのがありまして、これを題材に。

【みわ】私も見ました、あーそうかって。

そういえば、廃線になってバス転換した標津線の一部をさらに廃線するといったことも年末にありましたが。そのあたりも是非聞かせてください。

【町長】まず、標津線、平成元年1989年に廃止となりました。利用者の足を守ろうということで、バス転換がはかられました。JR時代の乗車人数は調べられませんでしたけど、バス転換した平成2年は何と40万人の利用がありました。

そこで質問です、令和3年のバス利用者数は何人でしょうか。

【みわ】なんと、と言ったからずいぶん減ったんでしょうね。1万人。

【町長】雰囲気は当たってるけど、答えは5万4千人。

【みわ】やっぱり相当減ってますね。

【町長】減ってる。鉄道からバスに転換してもこれだけ減れば、運営はなかなか厳しい。

バス転換したときに交付金もらったけどほぼ底をついて、自治体の負担も毎年増えてつらくなってきた、で乗客は減った。見直す時期だろうと。

利用の極端に少ない西春別~標茶間を3年かけて令和7年3月に廃止、別海~厚床間は空港線があるので今年9月廃止ということになりました。

【みわ】たまにバス見ますけど、すいてるというか、乗ってないというか。

【町長】一つの時代ですね、いろいろ移り変わってく。

でね、普通、鉄道がなくなるということは不便になる。不便になれば人は住まなくなる。

なのになぜ人口が減らなかったのか、ということに着目して解説した15分間でした。

この話って、以前から言われてたことなんだけと、突っ込んで調べたりすることがなかったので、大変参考になりました。

【みわ】産業・経済がしっかり発展したから、というのが結論だったように記憶してますが。

【町長】そうですね。同時にモータリゼーションが発達したこともあって、住んでる人にとっては、経済回れば車買えるし、道路もどんどん良くなってくるから、そんなに不便じゃなかったんでしょうね。

40万人いたバス利用者も、20年後には10万人を切ってます。

でも、人口はあまり減ってない。

【みわ】特に中標津は、ですね。

【町長】そう、鉄道時代に築いた交通の要衝、自動車メーカー、農機具メーカー、商業用要素、空港の新滑走路完成とジェット化。などなど時代にあった転換が進んだ。

【みわ】番組の中でも触れてましたけど、周辺の産業も同じく発展していたというのがありました。

【町長】割と、農業の発展に多く触れてましたが、漁業も同じですね。アキアジの豊漁が続いてましたから。

【みわ】どちらにしてもその基幹産業の発展が大きかった。

【町長】そう、一次産業でお金を生むでしょ。そのことによって、運送だとか、施設や機械整備が進む。近くでお金が回る仕組みがあると全体が潤うのですね。

【みわ】なので、人口が減ることはなく、中標津町の人口は増えていた、ということですね。

【町長】その通りですね。4町人口のピークは中標津以外は昭和の後半なんだけど、中標津だけ平成20年ころ、全体のピークは昭和60年で、56000人ほどいましたが、平成20年には51000人台、現在は48000人台まで減ってます。

【みわ】各町の人口減を中標津で吸収してたということなんですかねぇ。

【町長】うん、言い方としてはそうなんでしょうねぇ。人口が増加しているころは、転入と転出で言う社会増、出生と死亡で言う自然増、そのあとも社会減と自然増で増加。

【みわ】中標津が人口増加してた要素はどういう理由でしょうか。

【町長】平成5年にバイパスができて、9年に病院が移転しました。そのあと東武が移転してフレスポができて、バイパス沿いが一気ににぎやかになってく。

【みわ】そこに働く場所ができて、雇用増加が人口増につながった。

【町長】働く場所の受け口ができる。人口増加というか、人口が減らないスパイラル、仕組みがうまくできてくんだね。

動画の中でも触れてましたが、大きな都市との距離、釧路でも100キロあるので、毎日行き来できる距離じゃない。

そこに利便性の高い場所があると、町内はもとよりお近くの方々は日々買い物できる。

【みわ】私は別海町民で中春別に住んでいますが、買い物はほぼ中標津です。

仕事も夫婦で中標津、息子も中標津へ通学、隠れ中標津町民です。

【町長】そう人もいるし、その逆もある。中標津に住んで隣町へ通勤。

【みわ】これって、日ごろ町長が言ってる「住みやすさNO1のまち」の分析じゃないですか。

【町長】そ、このユーチューブ見た方もそういってた。「住みやすさNO1のまち」の説明だって。

さらにね、これと違うのを見ると一段と理解が深まる。

【みわ】えっまだ続きがあるんですか。

【町長】続きというか、去年の秋だったと思いますが、国士舘大学の加藤教授、経済学の先生で、「サービス経済化地域格差」という題で日経新聞に連載がありまして、仕事や多様なサービスか受けられる地域に人が集まるので便利な都市が栄え地方には人が済まなくなる。といった内容なのですが、その中で「中標津モデル」という言葉を使ってまして、何かと言いますと、規模は小さいながら中標津はそれを満たしている、というのですね。

買い物しやすく、地域センター病院があり、高校もそこそこで職場も多い。

地方創生にある小さな拠点のモデルだと言っております。

【みわ】それこそが、「住みやすさNO1のまち」だということですね。私も少しもやもやしていたところがあったのですが、非常によく理解できました。

町長なかなか深いことおっしゃってたんですね。

【町長】やっぱりそうだったんだ、みわ、お前もかって。

【みわ】えっなんですか。

【町長】以前にね、「そのすみやすさNO1のまちってのは、道内でか、国内でか?」と質問されたことがありました。

【みわ】なんて答えたんですか。

【町長】そういうこと言ってんじゃないんだよね、と思いながら、「目標です、キャッチフレーズです」って言いました。

【みわ】いいじゃないですか。

【町長】意味を理解していうのはやすいでしょ、そりゃぁ。

住みやすさってのは、町全体のバランスなんですね、選択肢が多くてついでに何かできる。余分かもしれないけどいろいろある。必要なものは当然ある。これなんですよ。

【みわ】住みやすさNO1のまち、のキャッチフレーズっていつから言ってるんですか?

【町長】これはね、1期目立候補した時から言ってるね、パンフレットに乗せる言葉になっていました。当時の記憶では、僕が言い出したんじゃないんだよね、確かね、パンフレット作る作業で、いろんな話してるうちに、決まったと記憶してます。ああ、いい言葉だなぁと。

【みわ】なかなかNO1というのは言いにくかったんじゃありません?

【町長】すでに住みやすいという感触は感じてたので、それをしっかりとした理論での構築はこれからでいいと思ってました。

【みわ】やっとかなったと。

【町長】加藤教授の文章は2019年だし、それ以前にも自分で図や表を作ってましたけど。

人にわかってもらうのにはそれなりの時間と努力が必要ということですね。

で、その加藤教授のお話ですが、「中標津モデル"を歴史と経済で語る会」という題で伝成館の飯島のさんの対談として、でユーチューブ配信されております。

2時間番組なので少し長いのですが、加藤教授のお話だけでもぜひお聞きください。

【みわ】でも、ここにきて人口は減りつつありますが、今後どのようにしてこの状態を保とうとされますか。

【町長】うん、人口は減ってる。特に出生者数の減少が著しい、死亡者の数が倍。自然減だね。全国的にもそうなんだけど。人口減少はしばらく続くけど、それを補うのは、交流人口。

中標津へ来てくれる人の数を減らさず増やすことですね。

【みわ】観光とか、買い物客とかですか。

【町長】そのあたりは当然ですが、さらにとなると知恵の総動員が必要。

【みわ】具体的にお考えになってることあります?

【町長】あんまりいうと独り歩きするのも困るので、一つは今ある施設の稼働率アップ、体育館などスポーツ施設や文化施設への集客や誘致。森林公園のリニューアルによる集客、岩谷学園専門学校入学者の定着、あと、そのことによって若者が楽しむ場所とか、まあいろいろ。

【みわ】中標津は建設ラッシュであったり、人口増の期待もいろいろあるのでますますやらなくちゃならないことが増えますね。

一方で人口減少を抑える政策もする、大変な時代を背負ってるんですね。

【町長】人口減少の基本的対策は国の仕事だと思うのですが、残念ながら十分な成果につながっていないのが現実で、大きな問題となってますね。岸田首相の言う大胆な取り組みに期待したいと思ってます。

【みわ】町長が考えてることはありますか。

【町長】コレ話すと長くなるのでまた今度ね。

以前にも話してますが、アメリカ旅行で気が付いたこと。

アメリカって西部開拓の交通手段は馬車、その後鉄道、そして自動車、高速道路と発展した。

何が違うと思います。

【みわ】えっ?・・・・・時間と距離?

【町長】さすが、よくわかりましたね。

どんどん移動時間が早くなるになって、通過される街が出てくる。

利用されない町や宿場がどんどんなくなる。

時間が早くなって距離が長くなる。目的じゃない町は素通りされてさびれる。

【みわ】高速道路出来て、さびれた町やコンビニとかを聞いたことがあります。

【町長】そう、残る町はそういう条件を持っている町なんだよね。

【みわ】中標津はそういう街を目指している、というか既になってる。

【町長】目指しているということもあるし、一部なってるともいえる。

どちらにしろそういうことを常に考えてなきゃならないってことね。

【みわ】わかりやすい解説ありがとうございました。